ソーシャル・ビジネスや社会的セクターと呼ばれる企業や活動の多くは、
「平等な教育の機会を提供する」
「二酸化炭素の排出量を削減する」
など、持続可能な社会の実現を目指す崇高なミッションに基づいて、
運営されています。

一方で、崇高なミッションは、抽象的なフレーズとなりやすい。
方向性としては正しそうなのですが、どこまで前進しているのか、
言いかえると、社会に対してどのぐらい影響をもたらしているのか、
不明確になりがちです。
そのため、事業の社会的インパクトが小さくなってしまったり、
資金調達の際に事業の意義をうまく説明できなかったりすることが、
少なくありません。
これでは、せっかくの崇高なミッションも実現されず、
持続可能な社会には到達できなくなってしまいます。

社会に対して影響力をもっていくために、重要なことは何か。
アメリカのスコル財団はそのブログの中で、
成果を具体的に数値化することが重要であると、説きます。

How to evaluate social impact?

Consider after-school education. The federal government spends billions annually on after-school programs to assist young children who perform below grade level, especially in reading and math. Unfortunately, large-scale studies have found that most of these programs fail to boost student achievement.

「例えば、課外教育について。連邦政府は毎年何十億ドルもの予算を、成績が平均以下
の子供たちを支援するプログラムに費やしているが、残念なことに、子供たちの成績向
上をほとんど実現できていないことが研究によって明らかになっている。」

But not all of them do. (…) One such organization, BELL (Building Educated Leaders for Life), which uses a proven curriculum and has an award-winning training program for its instructors, has demonstrated substantial gains in students’ math and reading skills. Not only can BELL tell you how far its students have advanced during the school year, but it can tell you, week by week, how they are progressing. When a student falls off pace, red flags go up, and the organization does its best to remedy the situation. Most of BELL’s competitors could tell you how many students attended their programs and the number of hours each sat in class, but they can’t tell you what the children learned.

「しかし全部が成果をあげていないわけではない。例えば、低所得者層に対する
教育の分野で受賞実績を挙げているBELLという活動は、生徒の読書と数学能力
を具体的に向上していることが証明されている。BELLは生徒が具体的にどのぐら
い能力を向上させることができたかだけでなく、毎週生徒たちがどのぐらい成長し
ているかも把握している。生徒たちが学習ペースを落としたり、音を上げたときに、
BELLはその状況を打開するために全力をあげている。他の多くの教育機関は、
生徒数は何人か、授業時間は何時間という質問に答えることができても、子供
たちが何を学習したのかについては答えることができない。」

BELLは、自らのミッションの成果を数値化し、それを定期的に効果測定を
することで、社会への影響力を大きくすることに成功しているというです。

成果が具体的に可視化されると、以下のような効果が期待できます。
‐ 組織活動のゴールと現状の把握
‐ 株主、債権者に対する存在意義の説明
‐ 従業員やメンバーに対するモチベーションの向上
‐ 顧客に対する商品・サービス価値の説明

成果の可視化という考え方は、
ソーシャル・ビジネスの世界で最近重要視されつつあるようですが、
企業経営の世界では以前から広く採用され、いわば先輩にあたります。

しかし、このように従来の企業と、社会的セクターや政府を同一視することに、
反発する2種類の意見があります。

1つ目は、
「企業は利益という明確な数値目標があるが、社会的セクター(ソーシャル・ビジネ
ス)はミッションを中心にされており、そのミッションの数値化は容易ではない」

というもの。

2つ目は、
「企業は利益という短期的な目標を目指すのに対し、社会的セクターは長期的な社
会課題に取り組んでおり、長期的な目標は設定しづらい」

というもの。

どちらも、社会的セクターの目標設定は難易度が高いということに着目しています。

しかし、僕は、以下の2つの理由から、成果の数値化というマネジメント手法において、
企業経営と、政府や非営利組織との間には本質的な違いはないと考えています。

1. 企業は利益だけでマネジメントしてはいない

多くの企業が利益目標を設定していることは事実ですが、
実際の事業の場面では、利益でマネジメントをすることは多くはありません。

例えば、スーパーのレジのおばさんはいくら利益を挙げているのか。
コールセンターの担当者はいくら利益をあげているのか。
はたまた、人事部や経理部はいくら利益をあげているのか。
これを明確にすることは単純ではありません。
上記の部署の方々に、「利益をあげろ!」といったところで、
具体的な行動の改善につなげることは容易ではないのです。

そのため、多くの企業では、それぞれの部署や従業員の日々の業務に則した
目標を設定することで、組織の力を最大化しようとしています。
「レジ打ちのスピードをどれだけ向上できるか?」
「コールセンターのお客様満足度をどれだけ向上できるか?」
というように行動目標を具体化したり、
「人事部はコストを使う一方、何をもって部署の価値と呼ぶのか?」
ということをゼロから定める検討をしたりしています。

このように企業は、事業運営に際して、利益以外の成果を数値化しており、
ミッション遂行型のソーシャル・ビジネスと大きな違いはありません。

2. 企業も長期的目標の設定を行っている

企業は短期的な利益目標を追求していると称されがちですが、
従来の企業も、社会的なミッションを掲げてきました。

例えば、新たに事業を起業する際に、
純粋に「いくら儲かるか」だけでなく、「なぜその事業が社会にとって必要なのか」を
起業家たちは考えてきました。

また、既存企業の経営においても、
企業の幅広い利害関係者(株主、債権者、顧客、政府、社会全体)を考慮し、
利益目標だけでなく、理念やビジョンを明確に設定する企業が増えてきています。

ビジネススクールでは、理念やビジョンを数値化し、マネジメントに活用するという難題
に対し、「バランスト・スコア・カード」という解決手法が教えられています。

上記のスコル財団も、社会的セクターも、この「バランスト・ストア・カード」に基づくことで、
効果的な成果の数値化を実現できるのではないかとブログで呼び掛けています。

社会的セクターは、ときに存在しているだけで美談になってしまうことがあります。
しかし、具体的な成果として、社会に何をもたらしたのか、もたらしたいのか、
これらを明確にしないことには、
組織として成長することも、周囲の支援を得ることもできなくなってしまいます。

巧みな成果の数値化や目標設定は重要な経営力のひとつです。
数値化や目標設定の方法を変えることで、
さらに進化できる社会企業や政府はたくさんあると考えています。

※僕の別ブログである「アメリカ・サンダーバードMBA留学ブログ」から転載しました。

CSRについて関心が高まっている中、
政府レベルの法整備支援も進んできているようです。

今日はカナダのオンタリオ州のケースを紹介します。
オンタリオ州は、州内にカナダ最大(北米3位、世界6位)のトロント証券取引所を
有し、同証券取引所に対する法的な管轄権を持っています。
Moving Forward with Corporate Environmental, Social and Governance Disclosure

2008年、オンタリオ州政府の外郭団体である、オンタリオ証券員会は、
CSRが企業のリスク管理や持続可能性にとって非常に重要であるという、
世論や投資家からの声を受けて、
企業に対して、環境、社会的影響、ガバナンス体制(ESG)の3点について、
報告を義務付ける規定を制定しました。
ESGは、企業の短期的・長期的利益に大きな影響を与えるということが、
その理由です。

※この3点の内容は、英語でEnvironmental, Social and Corporate
Governance、その頭文字をってESGと呼ばれています。
企業の持続可能性および投資倫理を測る中心的概念として扱われています。

しかし、その後の履行状況は芳しくありません。
オンタリオ証券委員会が調査したところ、
企業は、各社横並びで月並みの文言を、報告文書に挿入するだけで、
真剣に自社のESG状況について分析しようとしていないことが
わかりました。

そこで、オンタリオ州議会は、州政府に対して、法案の履行状況を
省察することを要求する法案を全会一致で可決。
それを受けて、オンタリオ証券委員会は、2点の提案内容を、
州政府とカナダ連邦政府財務大臣に対して、提出します。

1点目は、企業の現在の開示状況に関する調査をさらに継続すること。
2点目は、企業に対して開示方法のガイダンスを行い、教育を施すこと。
オンタリオ証券委員会の方針は、新たな規定を設けるのではなく、
現行法の履行状況を教育によって改善してていこうというものです。

今回の記事を作成したヨーク大学のディール准教授は、
さらに3点の改善点を挙げています。
1. 非開示の企業に対して、非開示理由の報告を義務付けること
2. 企業に対して目標達成のステップと具体的なゴールの報告を義務付けること
3. 報告書に対してのすべての質疑応答文書の公開を義務付けること

ESGの報告体制を確立していこうという取り組みは、
CSR推進という観点からみると、意義深いものであると思います。
が、同時に疑問も浮かんできました。
企業が自律的に取り組もうとしない理由はなんでしょうか。
本当に企業が、CSRやESGが企業の短期的・長期的利益についてにつながると
考えているのであれば、なぜ企業は自発的に取り組もうとしないのでしょうか。

以下の理由が考えられます。

(1) CSRやESGが利益につながるか検討していない
(2) CSRやESGが利益につながるかどうか検討し、つながらないと判断した
(3) CSRやESGが利益につながると判断しているが、計画する能力がない
(4) CSRやESGを推進する計画を立てたが、組織遂行する能力がない

ディール准教授のアプローチは、法律による強制力をもって、
企業の履行を高めようというものです。
しかし、このアプローチでは、企業の自発的推進力は期待できません。
立法の背景に、「CSRやESGは企業利益を高める」という考えがあった
ことに立ち戻ると、企業の自発的推進力を高める方法について、
もっと検討してもいいように思います。

一方、オンタリオ証券取引所のアプローチは、(3)の原因に対して有効性を発揮します。
「計画能力が足りない」という企業のニーズに、「教育」という解決策が対応している
ためです。

しかし、原因が(1)(2)(4)である場合は、別のアプローチが必要です。
例えば、(1)について、企業がまだこの問題を検討に値しないと考えている
のであれば、なぜ値するのかを具体的に説明していく方法が有効です。

CSRやESGは企業の利益や継続性にとって重要であると考えるからこそ、
不履行の是正に対して、「取り組む気がない」と決めつけてしまうのではなく
不履行原因を正確に突き止め、適切な対処法を取り、
議会・政府と企業が協働して、推進していく必要があるというのが、
僕の結論です。

ソーシャル・ビジネスや社会的起業と言われる世界では、
これまで企業が当然のように追い求めてきた「利益」が敵視される
ような傾向があります。

この利益敵視については、2つのレベルがあります。
1. 企業が当期利益を出すことそのものを問題視する
2. 企業が当期利益を株主に配当することを問題視する
  (当期利益を利益剰余金とし、再投資することは問題視しない)

1の立場をとる方は、そもそも感情的に「企業」「ビジネス」というものが嫌いな方々です。

「非営利」という言葉を大切にする人々はこの立場をとります。

しかし、最近、ソーシャル・ビジネスという言葉が普及するにつれ、
1の考えの方々は相対的に少なくなってきているような印象を受けます。
多くの人が、利益そのものが悪いのではなく、
「利益の最大化」ではない「健全な利益」が重要なのだと主張しています。

特に、低所得者層に融資を行うグラミン銀行(マイクロファイナンス)を設立した
功績で、ノーベル平和賞を受賞したムハンマド・ユヌス氏が、
ソーシャル・ビジネスの定義の一つとして、
「投資家は投資額のみを回収できる。投資の元本を超える配当は行われない」
を挙げ、上記の2の利益敵視の考え方が流行ってきています。

しかし、僕は、2つの理由から、このユヌスの考え方にも疑問を持っています。

1. なぜ配当ばかりを責めるのか?

会計の知識がある方ならご存知かと思いますが、
企業の利害関係者が受け取る「報酬」の中で、配当はそのひとつにすぎません。
主な利害関係者の受け取る報酬としては、以下のものが挙げられます。

・株主への報酬=配当金
・債権者への報酬=利子
・経営者・従業員への報酬=給与

利子や給与は費用として扱われるため、当期利益を算出する際には、
すでに差し引かれています。
例えば、アメリカの投資銀行の経営陣が莫大な報酬を受け取ることが、
メディアで取り沙汰されますが、
彼らが受け取っている給与は、当期利益には含まれません。
どれだけ「利益追求」行動の結果、売上を増やしたとしても、
給与報酬を上げれば、費用の額が大きくなり、利益にはなりません。

ユヌス氏の考え方に基づくと、ソーシャル・ビジネスにおいては、
債権者や経営陣、従業員は報酬が得られるのに、株主だけが報酬を
受け取れないという、非常に不公正な状況を生んでしまいます。

2. 株主もコストを負っている

ファイナンスの世界で、株主への配当金や債権者に対する利子の支払いを
「資本コスト」と呼びます。
これは、ものや情報を購入したり、従業員を雇ったりした場合にコストが発生
するように、調達したお金にもコストが発生するという考え方からです。

企業はコストを負って資金を調達し、それを投資して売上を得ています。
そして、その投資リターンと資本コストの差額が利益になるわけです。
(議論の単純化のため、その他のコストは無視しています)
この原則から考えると、ユヌス氏の発想は、株主を大きく苦しめます。
ソーシャル・ビジネスへの株主となる企業は、
資本コストを負って資金調達をしているにも関わらず、
投資からのリターンを得られず、その投資は純損失を生んでしまうからです。

グラミン銀行そのものは、低所得者層への融資からリターンを得ており、
資本コストという考え方を理解しているはずです。。
債権者の立場で投下した資本からリターンが得られるのであれば、
同様に株主に対してもリターンを認めるべきだと思います。

一方で、ユヌス氏のグラミン銀行は、多くの大企業からの投資を集めることができて
いるのも、また事実です。
しかし、中小企業が同じことをすることは2つの理由からかなりハードルが高いのです。

1つ目は流動資産の問題です。

大企業は手元に流動資産が多く、
ソーシャル・ビジネスへの投資に要した資本(株式発行や借入れ)への資本コストを、
その投資リターン以外から支払うことができます。
しかし、資金に余裕のない中小企業は、投資リターンが得られないと、資本コストの
支払いができなくなってしまい、資金繰りが回らなくなってしまいまうのです。

2つ目は投資目的の違いです。

大企業はソーシャル・ビジネスへの投資を一種のCSR活動、広義のブランディング、
マーケティング活動として位置付けることができます。
ソーシャル・ビジネスへの投資は、メディアなどが「無料で」宣伝してくれます。
さらに、企業イメージや製品イメージが向上し、販売促進にもつながります。
そのためCSR投資を一種のマーケティング予算として捉えることができます。

他方、中小企業は規模が小さいため、ソーシャル・ビジネスへの投資を、
本業として扱わざるをえません。
すなわち、本業としてこの投資から利益を得ないと、
会社の財務状況を悪化させてしまいます。

ユヌス氏は社会発展のために小さな企業をサポートする活動を行う一方で、
他の中小企業を市場から排除してしまう構図を生んでしまっています。

このように冒頭で紹介した、
「企業が当期利益を株主に配当することを問題視する」という考え方については、
アメリカでも賛否両論があります。
反対意見からは、
通常の(=利益分配型の)高評価の社会サービス企業が、
ソーシャル・ビジネスという分類から排除されてしまい、
彼らのモチベーションを下げてしまう、という意見も出ています。

ユヌス氏が、社会への(=事業への)再投資を願ったうえで上記のように定義を
した考え方には理解をします。
また、利益を上げにくいソーシャル・ビジネスの世界で、利益志向ではなく、
ミッション志向でないと、事業の継続が難しいということも理解できます。

一方で、利益は新たな事業を創造するための原資であり、
利益を「健全な利益」と「悪徳な利益」に分類することも容易ではありません。
ミッション志向で事業を行った結果、生じた利益を配当したとしても、
その企業はソーシャル・ビジネス(社会企業)と呼んでいいと考えます。

火力、水力、原子力。日本でおなじみのフレーズです。
世界では今、再生可能エネルギーの生産量を増やす動きが急ピッチで進んでいます。

世界でのエネルギー消費量を見てみると、
依然として化石燃料に頼っていることがわかります。

Renewables 2010 Global Status Report

円グラフ上では、再生可能エネルギーは19%を占めているように見えますが、
この中には、伝統的バイオマスと呼ばれる焚き木や薪、糞尿による発電や
水力発電なども含まれています。

風力や太陽光発電など狭義の再生可能エネルギーが占める割合は、
棒グラフの上から3つ目での合計たったの3%。

今後、インドや中国でのエネルギー需要が爆発的に高まっていく中、
再生可能エネルギーや原子力発電の需要は急速に高まっています。
実際、化石燃料の価格は昨今の経済不況にかかわらず、
1バレル$80という高水準を記録しています。

そこで昨今相次いでいるのが、太陽光や風力発電の大プラント建設です。
日本の感覚だと、風力発電や太陽光発電というと、
ときどき見かける数台の風車や、屋根の上のソーラーパネルを想像しがちですが、
世界で今推進されているものは、規模が全く異なります。

例えば、太陽光発電は、こんな規模です。

Largest Solar Plant in Europe Set to Open in Italy

これはヨーロッパ最大の太陽光発電プラントでイタリアに2010年に建設されました。

アメリカのファースト・ソーラー社は、今年に入った1/5に、
中国の原子力発電事業大手の中国広東核電集団(China Guangdong Nuclear
Power Corp、CGNPC)と共同で、モンゴルの砂漠に30メガワットの大型太陽光
発電プラントを建設する計画を発表しています。

2010年に入って太陽光発電事業が相次ぐ理由は大きく2つあります。
 1.莫大な政府補助金
 2.ソーラーパネルの価格の下落

まず、莫大な政府補助金については、
アメリカのオバマ政権のグリーン・ニューディール政策が有名です。
現在、アメリカでは太陽光発電を建設した事業者に、
連邦政府や州などから補助金が得られ、
その額はなんと初期投資の半分以上にも達することがあります。

中国などエネルギー需要が増加する新興国でも、資源高の高騰に備え、
積極的に再生可能エネルギーへの投資に力を入れています。
太陽光発電は、従来「不毛地帯」とし厄介者であった砂漠地帯が、
エネルギーを生む土地に変えることができ、
21世紀の新たな錬金術として注目が集まっています。

ソーラーパネルの価格下落は、アメリカのアリゾナ州テンピ市に本社を置く、
ファースト・ソーラー社の貢献が大きいです。

ファースト・ソーラー社は、従来のシリコン結晶を素材としたソーラーパネル
ではなく、薄型フィルムを用いる新しい技術開発に成功しました。
この薄型フィルム(Thin Flim)タイプのものは、発電効率は以前より低いの
ですが、製造コストが格段に安く、原子力や火力にも対抗できる安さで、
世界の注目を集めました。

2010年10月にアメリカとベトナムに合計500万メガワット分の需要に対応できる
ソーラーパネルの大型生産工場の建設を発表しています。
こうして、ソーラーパネルの需要が高まる中、規模の経済も働き、
さらにソーラーパネルの価格は下がり続けているのです。

風力発電のプラントも大規模です。

これは、アメリカのカリフォルニア州にある風力発電プラントです。
このような大規模なプラントがアメリカにはいくつもあります。
広大な土地が資源となり、新たなエネルギー工場となっています。

世界のエネルギー需要が伸びていく中、
新たなエネルギー生産の動きは加速しつつあります。

最近、アントレプレナーシップ、起業家精神という言葉が脚光を浴びています。
特に、社会的起業という言葉も盛んに使われるようになりました。

なぜ社会的起業が必要だと言われるようになってきたのでしょうか。

僕が非常に共感する学者の一人に、
スティーブン・ゴールドスミス(Stephen Goldsmith)氏という方がいます。

彼はアメリカ・インディアナ州インディアナ市の前市長。
現在はニューヨーク市の副市長に在任中で、
ハーバード大学ケネディースクール(公共政策大学院)の教授でもあり、
アメリカの行政改革の中心人物です。

彼はブログの中で、
なぜ社会的起業が必要になるのかについて、こう語っています。

These social entrepreneurs share passion, a focus on outcomes and impact that leverages other resources, a sound business model, and high expectations for not only themselves but also their clients.

「社会的企業とは、情熱、資源を活用した結果と影響力、優れたビジネスモデル、自分自身
ではなく顧客に対する高い期待感を共有しているものと定義します。」

まず、この中で、僕が共感するのは、
「結果」にこだわる、「顧客への期待」をもつという点です。
大胆に言ってしまうと、慈善活動や慈善事業というものは、
提供者の満足のために実施してしまいがちです。

「○○が可哀そうだ。」「○○が不公平だ。」「○○もこうなるべきだ。」

こういう発想は、行動の動機としてはよいと思うのですが、
ともすると、行動していること自体が美談になってしまい、
結果に対するコミットメント、特に顧客視点での結果に対するコミットメントを
欠く傾向があります。

「顧客視点で、結果と影響力にこだわる」。
社会的起業にとって大切にしていきたい要素です。

彼は社会的起業の課題をこう位置付けます。

Early on, many of us involved in these fields mistakenly hoped that a good organization or idea would naturally grow to scale.

In most of the areas where social entrepreneurs are working, no markets exist. The individuals whom we are trying to serve do not have the money to buy needed services; thus someone else pays for them. Thus the start-up capital sufficient to prove a concept will not produce the broad growth needed for transformative change to scale.

「当初、わたしたの多くは、良い組織は自然に拡大すると思っていたが、それは誤りだっ
た。」「社会的起業が活動している分野には、市場が存在しないことが多い。サービス受給
者である個々人は、必要とするサービスを購入するだけのお金がなく、代わりに誰かが負
担しなくてはいけない。そうして、初期投資が十分でないため、組織を拡大するための変革
に必要な成長が果たせないのだ。」

また、その初期投資を提供する社会的投資家の動きも課題解決にはならないと
言及します。

Invariably, philanthropic and social investors rely on an exit strategy that looks to government as the sector that will eventually sustain an organization’s growth.

As a result, an idea’s ability to grow depends on both government and the existing web of providers, funders, and politicians who have a stake in the status quo.

「常に慈善投資家や社会的投資家は出口戦略として、政府にその投資先組織を成
長させていく役割を期待しています。」「結果として、社会的起業の成長能力は、政府や
既得権益者、政治家たちに依存してしまっているのです。」

Blaming government as the primary obstacle to progress, however, misses the mark. (…) Existing providers and their boards, staffs, directors, and sometimes clients lobby funders—whether private or public—to increase support of their efforts regardless of results.

In other words the passion that produced yesterday’s transformative innovation migrates over to sustaining the organization—which in turn precipitates an effort to raise barriers to entry for potential competitors.

「しかしながら、政府を主要な障害物ととらえて非難することは的を外しています。既
得権益者とは、経営陣、従業員、管理職層、ときには顧客を含み、彼らは結果に関わら
ず、既存組織をサポートするよう投資家たちに働きかけているのです。」「言いかえると、
過去の革新的な変革を産み出した情熱は、既存の組織を継続することに向かっていき、
かわりに、新たな参入者に対する障壁を高めることに注がれてしまうのです。」

こうして、彼は従来の社会的起業の取組が世の中に普及して行かないことを、
既得権益者(政府だけでなく)に頼らざるを得なかった構造に見出しました。

そこで、ゴールドスミス教授は、新しい概念として、
Civic Entrepreneurship=市民起業家精神 というものを提唱します。
これは、政府に頼るのではなく、市民の手で新たな行動を起こし、
市民の手でその組織を大きくしていこうという概念です。

古くから、わたしたちは、何かあるたびに政府に苦言を呈してきました。
日本の観光業が盛んでないと、観光庁を批判し、
日本の経済が発展しないのは、経済産業省の政策のせいにし、
日本の教育の責任を文部科学省の責任にしてきました。

この批判は、裏を返すと、それだけ政府に期待をしたいたのだと思います。
しかし、この21世紀は、いい意味で、政府に過剰な期待をするのを辞め、
市民一人一人で社会を望む方向へ変えていかなくてはいけない時代に
なっています。

何か問題や課題を認識したときに、
「なぜ政府はダメなのか?」と不満を言葉にする前に、
「わたしたちに何ができるのか?」を考えていくことこそが、
市民的起業家精神を育み、持続可能性のある社会を築いていく、
重要な一歩だと考えています。

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